有閑堂

オカルト好きのブログ

ある意味シンクロ?

ある人の家にお邪魔した時に余興でタロット占いをやってくれといわれた。

私は占い好きだけど自分で占っても当たりませんので

あくまで遊びのまねごとだけ・・という前置きをしてカードを切ってみた。

質問は転職について。

全部は忘れたけど(おひ)本人の希望のところでカップのクイーンの逆位置。

一般的に正逆は採用しないらしいけど(伊泉氏曰く)、この時は採用して

我侭さえ言わなければ見つかるんじゃないですかと答えた。

カード引かなくても言えるぞ的な無難な模範解答やなw


そして、さらに日にちは経ち、

いよいよその人は転職活動を開始。

仕事がうまく見つからず、占い当たらなかったわーと

ご報告いただきました。すみません。私やもん当たらないってばw

というか、希望条件の緩和等の努力はなしですかい・・我侭抑えてないやんw

当たらんかったのはヤブで申し訳ないけど、

自分で修正できるところを何もしないでまた占ってって、、、orz

多分「見つかる」ってところは耳に入ってるけど、「我侭さえ言わなければ」ってところは

脳内でスルーされているような気がする。。

変えないといけないのは、現実=現状の自分であって

占いの結果じゃないやん。

これじゃ無能の私じゃなくて、腕のいい占い師が100回占っても意味がないな。

本末転倒です。


現実的に考えても、思ったとおりにいく確率が低い場合、

せめて自分自身の問題点等、自力で変えることのできる範囲内だけでも何とかしようと

ベストは尽くさないと

物事は思ったようにはこれっぽっちも運ばないと思うんですが。

現状で無理なのにそれを何も変えようとしないで、

相手や状況だけが自分の思い通りに変わってほしい・・

そんな奇蹟に近いものをただじっと待つって

オカルト好きな私がいうのもなんだけど、そっちのほうがかなり非現実的だと思う。


無能だし、大した人生も送ってませんが、少ない人生経験からも

奇蹟みたいなことが起こることはごくたまーに目にすることはあります(私に起こったんじゃないですw)。

でも、それは

その人ができうる限り最大限の努力を払った上で初めて起こることなのではないかと。



占いは預言ではなくて、船舶のソナーみたいなものだと思う。それもかなり精度の低めのw

どうしても避けられない宿命的なものはあるかもしれないけど、

日常的なことは自分の力や気持ち次第でいくらでも進路変更はできると思う。

占いはあくまでも

自力ではもしかして思いつけない角度からの可能性を提示させてみる

手段の一つで(ニュアンスわかってもらえるかしらん)

出た結果が必ず起こるというわけではないと思う。

占いをやって結果を知ってしまった時点で未来は変わってしまってるかもと心配するくらい

未来ってファジー(死語w)なものなんではないかと思っているのですが。根拠はないけどw


そんないろんな可能性を自分の中で取り込んで自分の意見や思いも踏まえたうえで

考え抜いて自分なりにどうするか結論を出すのが目的で、

最終的には自分の決断がどんな結果になっても占いや占いでなくても

相談をかけた他人の意見のせいでなく、自分自身で下した決断として

全部を引き受ける覚悟を決めるもんだと思うのですが(なかなか難しいけど)。

でないと誰の人生を生きてるのかわからんやんw


そんなことをいくら説明したところで

多分私の言いたい事が正確に今の彼女には伝わらないかも。

それでも、それこそ伝える努力をしたほうがよかったんだろうか(苦笑)


よくある話なのになんだかずっとひっかかったままで

ここに書こうと思うまで随分時間がかかってしまったわ ははは。

他人は自分を映す鏡といいますし、これだけ拘ってしまうということは、

自分の中にも同じ要素があるからこそ

過剰に反応しているってのももしかしてあったりするのか;^^



・・要するに、まだまだ人間できてないってことやね。とほほん。