有閑堂

オカルト好きのブログ

比叡山 その1

観光シーズンということで比叡山延暦寺です。
 
1200年前、最澄が京の都を鎮護するべく京都から見て鬼門に位置する比叡山を開山しました。
 
比叡山は東塔(とうどう)西塔(さいとう)横川(よかわ)という3つのエリアで構成されており
 
これらを総称して延暦寺といいます。山自体がお寺という感じでしょうか(違う?)。
 
日本仏教史上でも名僧と呼ばれている僧の多くが若い頃に比叡山で修行したことから日本仏教の母山と
 
呼ばれているそうです(←請け売り)
 
山そのものが鬼門の魔除け装置?なだけあって、山のあちこちに寺院を置いたりして
 
さらに細かい魔除けが施してあるらしい・・というかなりオカ好きがそそられる山でもありまして、
 
中でも比叡山四大魔所と呼ばれているオカルトスポット巡りをば・・
 
 
まず奥比叡の横川エリア。観光スポットの横川中堂の前を素通りして
 
四大魔所の一つ、元三大師(がんざんだいし)御廟です。
 
横川は比叡山の中でも鬼門にあたるエリア、鬼門の鬼門でしょうか。
 
この元三大師良源という方、第十八代天台座主で慈恵大使とも呼ばれていたそうで
 
ものすごい霊力の持ち主だったらしく、比叡山中興の祖とされています。
 
ちなみに元三大師はおみくじの発案者でもあります。
 
ある時、人々が疫病に悩まされていた時、大師は何とか疫病を食い止められないだろうかと憂いながら
 
鏡の前で座禅を組んで瞑想?していると、みるみるうちに身体はあばら骨だけになり、頭には角が生えてきて
 
魔物に変身したそうです。その姿を見た弟子が描き取ったとされているのがこれです↓
 
魔と対峙する時はこの姿になったそうです(本気モード?)。
 
イメージ 2
 
大師は弟子に版木にこの姿を刻ませ、刷った御札を自ら開眼し、皆に配り家の戸口に貼るように命じました。
 
すると角大師の姿を怖がった病魔が退散し厄病が収まりました。
 
そういえば、母方のおばーちゃんの家の玄関にこれ貼ってあったわ・・
 
絵にインパクトがあったから子供心に
 
気味悪いけど(ゴメン)これ何なんだろうかと不思議に思っていたことを薄ぼんやり憶えてるわ。
 
あれ、厄除けだったのかー今ごろ解決したw
 
ちなみにこの石碑があるのは御廟ではなく、お堂(三元大師堂)のほうです。
 
お堂と御廟は少し離れているのですが、どうも御廟のあるポイントが本当の鬼門のライン上に位置しており、
 
鬼門の鬼門の鬼門(・・・。)にあたるとのこと。どうやって正しい方角を割り出したのかが不思議や。。
 
 
元三大師は亡くなる時、
 
自分が死んだら比叡山の鬼門に捨てて、墓は決して掃除するなと言い残したそうです。
 
掃除しないであるがままのほうが死後も霊力が増すと考えたからという説がありますが、本当のところは
 
あてくし不勉強でわかりません。
 
お堂は綺麗に整備されて普通の観光コースになっているのに、御廟への道は整備されておらず
 
途中段差が続く山道なので足腰が弱い年配の人は無理かもしれません。
 
というわけで、撮影禁止と書かれていなかったので御廟をちゃっかり撮ってきました。
 
 
イメージ 1
 
お墓なのに鳥居が。結界が張ってあったりするからでしょうか。0能なものでわかりません。
 
捨てて手入れするなと言い残しただけあって、廟の建物も表からぱっと見た感じ質素です。
 
鳥居の手前は落ち葉を綺麗に掃いてまとめてあるけど、お墓の敷地?内は
 
勿論手入れはされているでしょうが、適度に落ち葉が散らばっているように残してある感じです。
 
事変のある時はここに風が吹くと言われていますが、この日は無風でした。ホッッ
 
 
魔所1ヶ所目で長くなってしまった、、
 
 
続きます。