有閑堂

オカルト好きのブログ

三井寺 その1

満開の桜も見かけるようになりようやく春らしくなりましたし、また小さなオカルトを探してお出かけしたくなってきたわ。

前回は比叡山延暦寺だったので、今回は園城寺、通称三井寺に行ってみようかと。。
 
京阪石山坂本線三井寺駅を降りてすぐにあるのが琵琶湖の水を京都市内に通すための水路、琵琶湖疎水。
そして前方の山が三井寺のある長等山。山肌が山桜で薄ピンク色に。
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そして三井寺です。
 
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天台宗の総本山で7世紀に大友氏によって草創され、大津京を造営した天智・天武・持統天皇の産湯に
 
用いられた霊泉があることから「御井の寺」と呼ばれていたのがいつしか「三井寺」と呼ばれるようになったとか。

このお寺も比叡山延暦寺のように山の中にいくつかのお寺で構成されていますが、

規模は私の感覚では比叡山の四分の一程度かなという感じで一回りするのに所要時間40分程度。

今日のような三井寺の基礎を作ったといわれているのが智証大師円珍です。

空海の妹を母に持つ円珍はかつて比叡山で修行をした名僧でしたが、円珍の死後、円珍の門流

と慈覚大師円仁の門流との2派に別れ対立するようになってしまいました。両派の対立は激化し、

とうとう円珍派は比叡山を下りて、拠点を三井寺に移します。比叡山延暦寺を山門、対する三井寺

を寺門と呼ばれその関係は険悪だったようで、比叡山宗徒は三井寺を大規模小規模あわせて50回以上

も焼き討ちにしたといいます。その後も比叡山三井寺は政治的な勢力争いなどにも利用された

こともあり関係は平行線のままだったようです。

ざっくりとアウトラインを書きましたがこのお寺も秘宝とされる黄不動明王や金堂、近江百景にも出てくる重文
 
「三井の晩鐘」など国宝級の建物や宝物が多数ありますが、

比叡山延暦寺と同じくオカルト風味の逸話を持つものがいくつかありまして

中でも一番オカルト風味なのは観音堂近くにひっそりと建っている「十八明神」別名「ねずみの宮」
 
というお社です。
 
平安時代に頼豪という名高い僧がいまして、修験で会得したかなりの霊力があったといわ

れています。頼豪は三井寺戒壇(戒律を受けるための結界が常に整った場所を意味し、ここで出家したもの
 
が僧侶として正式に認められる授戒を受けることができる場所)に定めてもらおうと朝廷に働きかけていたとこ
 
ろ、頼豪は朝廷から天皇に皇子が生まれるように祈祷するように命を受けます。

そして頼豪の祈祷の効果あってか無事皇子が誕生し、その褒美として朝廷は三井寺戒壇に認めました。

しかし、一旦は認められたのに、ここでまたしても比叡山からの強い圧力を受け、

結局戒壇の認可は取り消しに・・・比叡山強っっ

これに怒った頼豪、自分の祈祷で生まれた敦文親王を今度は自らの祈祷で命を奪おうと二十一日間の不眠不
 
休で護摩焚きを敢行し、敦文親王は4歳で死去、、そして悪鬼のような姿で壇上で果ててしまった

頼豪は魔道に落ちた怨霊となり、鉄鼠に変化し延暦寺に行き経典を食い破ったそうな。。

太平記では頼豪は石の体と鉄の牙を持った8万4千匹のネズミになって延暦寺を襲ったといわれています。
 
頼豪が変化した鉄鼠は比叡山の僧の法力で出てきた大猫に退治されたという説もあり

どっちにしろほんまかいなということでw
 
妖怪鉄鼠についての説明はここにありました。

本当かどうかはともかくとして、延暦寺との仲の悪さがよくわかるエピソードです。

延暦寺は頼豪の怨霊に恐れをなして神として祀り、その社がこの十八明神だとされています。

拝観ルート沿いにぽつんと建っていて、祠の目の前で、一体どこにあるんだろうか・・とキョロキョロ探したぐらい
 
(おひ)地味なお社です。地味とか言ったら怒られるな、、
 
十八明神です 
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祠は比叡山の方角に向かって建っていて、

比叡山の麓の坂本にある日吉大社には大猫を祀った祠が三井寺の方向を睨みつけるようにして建っているそうで・・前に行った時あったかなw

祠同士でガンの飛ばしあいてどんだけトムとジェリーやねんw
 
ちなみにガンを飛ばすことを大阪弁で柄の悪い言い方だと「めんち切る」といいますが、京都滋賀でも通じるの
 
かはわかりませんw

 
もうちょっと続きます