いつものように何の脈絡もなくw
以前にもここに書きましたオカルト板のスレ、あの粒の人がスレ主だったところです。
そこに出ていた不思議な話。受け止め方は様々だと思いますがまぁオカルトなんでテキトーにw
以下、抜粋です。
滋賀県に密教で有名なあるお寺がありました。これはそのお寺のお坊さんが 乳母車を押して四国遍路をしておりまして、たまたま私の弟に会って語り合ったことがあるんだそうです。その又聞きなんです。その方は、密教の修法を積んであらあら霊験あらたかに参拝者が引きも切らぬようになった僧ですよ。
本当は参拝じゃなくて、わずかなお金でクレクレするためなんですけどね。
わずかというのが五千円なのか百万円なのかは知りませんよ。何しろあの大会社の偉いさん、この有力政治家といろいろいらっしゃったそうですから。
本当は参拝じゃなくて、わずかなお金でクレクレするためなんですけどね。
わずかというのが五千円なのか百万円なのかは知りませんよ。何しろあの大会社の偉いさん、この有力政治家といろいろいらっしゃったそうですから。
(>>336続き)
さて、その方はお寺のお坊さんといいましても、修行を終えた当初はお寺は持って
なかったんですが、霊験あらたかであるとして多くの後援者が集まりまして、やがて
寺が建ちまして繁盛していたんですね。
弟がその方と最初に出会いましたのは7年ほど前のことでしてその2年ほど後にもう
一度出会ったのだそうです。
実は四国遍路をしていたのはそのお坊さんはご自分のお寺を失ってしまったからなの
です。
さて、その方はお寺のお坊さんといいましても、修行を終えた当初はお寺は持って
なかったんですが、霊験あらたかであるとして多くの後援者が集まりまして、やがて
寺が建ちまして繁盛していたんですね。
弟がその方と最初に出会いましたのは7年ほど前のことでしてその2年ほど後にもう
一度出会ったのだそうです。
実は四国遍路をしていたのはそのお坊さんはご自分のお寺を失ってしまったからなの
です。
ですからその方の最盛期は昭和の時代なんですね。まだ日本経済華やかなりし頃
です。有名無名のたくさんの方がその方の元に加持祈祷をお願いに参拝するので
す。依頼を受けますとそのお坊さんは不動明王をお祀りして加持祈祷に励みます。
そうしますと不思議に依頼者の希望通りに事が進んで行くのだそうです。
で、皆さん何をクレクレと参拝してご祈祷をお願いするのかというとこれがとん
でもありません。病気平癒とか商売繁盛なんかは可愛いものです。もっと実践的
と申しますか実戦的と申しますか、政敵やら昇進争いのライバル、商売敵などを
懲(こ)らしめてくれってんですね。そんな依頼が有名な方からポンポンやって
くるんだそうです。
懲らしめてくれってのは配慮した表現ですから、お察し下さい。なんてやってお
りますと妄想の温床になってしまいます。はっきり言いまして、病気にしてくれ
死んでもらってくれ、ここまでゆくんだそうです。なかなか悪辣(あくらつ)で
あります。
です。有名無名のたくさんの方がその方の元に加持祈祷をお願いに参拝するので
す。依頼を受けますとそのお坊さんは不動明王をお祀りして加持祈祷に励みます。
そうしますと不思議に依頼者の希望通りに事が進んで行くのだそうです。
で、皆さん何をクレクレと参拝してご祈祷をお願いするのかというとこれがとん
でもありません。病気平癒とか商売繁盛なんかは可愛いものです。もっと実践的
と申しますか実戦的と申しますか、政敵やら昇進争いのライバル、商売敵などを
懲(こ)らしめてくれってんですね。そんな依頼が有名な方からポンポンやって
くるんだそうです。
懲らしめてくれってのは配慮した表現ですから、お察し下さい。なんてやってお
りますと妄想の温床になってしまいます。はっきり言いまして、病気にしてくれ
死んでもらってくれ、ここまでゆくんだそうです。なかなか悪辣(あくらつ)で
あります。
そしてこんな悪辣な依頼を平然と受けてしまうのです。むしろ喜々として受けて
いたのかも知れません。何故かっていうと、そんな怖い依頼が実現してしまえば
しまうほど、恐ろしければ恐ろしいほど俺って凄い、おいらの神様は凄いって、
自分自身の存在を実感できるからなんです。
いたのかも知れません。何故かっていうと、そんな怖い依頼が実現してしまえば
しまうほど、恐ろしければ恐ろしいほど俺って凄い、おいらの神様は凄いって、
自分自身の存在を実感できるからなんです。
(>>363 続き)
人間って馬鹿ですよね。自分の想いと想いに基づく活動に応じて関係性は変わってくるんです。
そして変わったという手応え、フィードバックですね、これによって自分が存在しているという
実感を感じてるんです。それを求めて生きてるんですね。
同じ感じるのなら、他人と協働して感じる一体感を求めてその中に自己の存在を感じればよいの 。でもそうじゃないんだな。何故かって?その視界には他人と自己とが別々の互いに相交わらない存在だという錯覚が紛れ込んでいるんですね。
そりゃそうですよね。だって、肉体は一人一人別々でお互い勝手に考えて動いてるんだから。でもね、これは物質的にも実は錯覚に過ぎないんです。一人一人の肉体なんて、どこからどこまでがこの人の肉体、ここからここまではあの人の肉体、なんて線引きできないんですよ。ミクロの見方をして参りますと、肉眼で認識するのとは大いに違うのです。
分子の大きさ、原子の大きさ、そして素粒子の大きさのレベルで物事を見て参りますと皆様が肉眼で見て作り出した認識、思ってらっしゃる世界とは世界の様相がガラッと変わってまいります。
受が異なると想が、そして認識までが変わってくるのです。素粒子レベルで見ますとね、皆様の肉体の境界というものが見えなくなってしまうのです。それは雲みたいに集中しているだけなんです。
そして雲の境界は在るようで実はない。その境界の辺りで空に溶け込んでいるんですね。同じように皆さんがこれが肉体だ、と思っている存在、これが自分だと思っている存在も周りの空間や空気、他の物質たちと周囲は溶け込んで同化しているのです。単に集中しているに過ぎないのです。素粒子なんてもう一秒間に100兆個とかとんでもない数がスカスカと皆さんの肉体を通過していっているんですね。
人間って馬鹿ですよね。自分の想いと想いに基づく活動に応じて関係性は変わってくるんです。
そして変わったという手応え、フィードバックですね、これによって自分が存在しているという
実感を感じてるんです。それを求めて生きてるんですね。
同じ感じるのなら、他人と協働して感じる一体感を求めてその中に自己の存在を感じればよいの 。でもそうじゃないんだな。何故かって?その視界には他人と自己とが別々の互いに相交わらない存在だという錯覚が紛れ込んでいるんですね。
そりゃそうですよね。だって、肉体は一人一人別々でお互い勝手に考えて動いてるんだから。でもね、これは物質的にも実は錯覚に過ぎないんです。一人一人の肉体なんて、どこからどこまでがこの人の肉体、ここからここまではあの人の肉体、なんて線引きできないんですよ。ミクロの見方をして参りますと、肉眼で認識するのとは大いに違うのです。
分子の大きさ、原子の大きさ、そして素粒子の大きさのレベルで物事を見て参りますと皆様が肉眼で見て作り出した認識、思ってらっしゃる世界とは世界の様相がガラッと変わってまいります。
受が異なると想が、そして認識までが変わってくるのです。素粒子レベルで見ますとね、皆様の肉体の境界というものが見えなくなってしまうのです。それは雲みたいに集中しているだけなんです。
そして雲の境界は在るようで実はない。その境界の辺りで空に溶け込んでいるんですね。同じように皆さんがこれが肉体だ、と思っている存在、これが自分だと思っている存在も周りの空間や空気、他の物質たちと周囲は溶け込んで同化しているのです。単に集中しているに過ぎないのです。素粒子なんてもう一秒間に100兆個とかとんでもない数がスカスカと皆さんの肉体を通過していっているんですね。
- 376 名前:アラサー女 ◆EgHTFQZo3s 投稿日:2011/12/17(土) 02:25:38.73 ID:bGzC+LMLP
(>>365 続き)
結局この肉眼で捉えられる物質的世界を追究していきましても、その追究の果て
には個別で独立して存在しているものなど何一つ無いのだ、という結論に至って
しまう。全てが一つに解け合って全体を作っている。そしてその全体の中でエネ
ルギーの集中したところが物質として認識されそれが更に集中して原子や分子や
そして私たちの肉体も作り上げているのです。
なんだか、人間の意識は全て水面下でつながっている巨大な意識の一部なんだ
っていうスピリチュアリズムの主張そのものが、実は物質的世界において現実
のものであると言えるようですね。
これは現代文明のレベルで初めて言いうることであって、皆さんの肉体はそれ
自体が存在しているように見えるかも知れないがそうじゃないのだ、それは空
(くう)と同化しているのだ、色即是空である、なんて言いましても、百年前
の知識ではこれは理解しがたい議論なんです。ほんとの空理空論だったんですね。
ところが文明が発達した現代では小学生でもなるほど、って理解することが可能
だ。文明の罪をあげつらいますとなんか高尚な事を言っているような気がするもの
ですが、実は文明の恩恵もまた広大でありまして、物質文明の発展は実は精神文明
の偉大な基盤を用意しつつあるのです。文明にも感謝です。
結局この肉眼で捉えられる物質的世界を追究していきましても、その追究の果て
には個別で独立して存在しているものなど何一つ無いのだ、という結論に至って
しまう。全てが一つに解け合って全体を作っている。そしてその全体の中でエネ
ルギーの集中したところが物質として認識されそれが更に集中して原子や分子や
そして私たちの肉体も作り上げているのです。
なんだか、人間の意識は全て水面下でつながっている巨大な意識の一部なんだ
っていうスピリチュアリズムの主張そのものが、実は物質的世界において現実
のものであると言えるようですね。
これは現代文明のレベルで初めて言いうることであって、皆さんの肉体はそれ
自体が存在しているように見えるかも知れないがそうじゃないのだ、それは空
(くう)と同化しているのだ、色即是空である、なんて言いましても、百年前
の知識ではこれは理解しがたい議論なんです。ほんとの空理空論だったんですね。
ところが文明が発達した現代では小学生でもなるほど、って理解することが可能
だ。文明の罪をあげつらいますとなんか高尚な事を言っているような気がするもの
ですが、実は文明の恩恵もまた広大でありまして、物質文明の発展は実は精神文明
の偉大な基盤を用意しつつあるのです。文明にも感謝です。
長いので 続きます