有閑堂

オカルト好きのブログ

吉田神社



祭神は建御賀豆智命(たけみかづちのみこと) 、伊波比主命(いわぬしのみこと)、


天之子八根命(あまのこやねのみこと)、比売神(ひねのかみ)。


859年 中納言だった藤原山陰が平安京の守護神として都の「鬼門」に位置する吉田山に


奈良の春日大社の神々を勧請し創設されました。


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鎌倉時代以降は卜部氏のちの吉田氏が神職相伝していきます。


吉田氏は朝廷に仕え、陰陽寮において占いを司った古い家柄で、「徒然草」の吉田兼好


その一族なんですね。


鎌倉時代当初は八百万の神は元々は仏教のさまざまな仏が化身した「権現」であるという


本地垂迹説」が主流だったのですが、鎌倉中期になると、神道を仏教から独立させようという考えから


八百万の神がさまざまな仏に化身したのだという反本地垂迹


伊勢神宮外宮の神官であった度会氏を中心に唱え、「伊勢神道」の基礎を作ります。


その後室町時代吉田兼倶がその考えを受け継ぎつつ、仏教・道教儒教陰陽道の思想を


ミックスさせることによって総合的な神道説を唱えた神道流派「吉田神道」を創設し、


その本拠地総本山が吉田神社・・というのがざっくりとしたプロフィールです。あってますか?w




吉田氏は反本地垂迹によって得た朝廷と幕府の支持を背景に地方の神社に神位を授けたり


また、神職の位階を授ける権限もあたえられることによって神道の家元的な存在になり、皇室の


実務担当を務め、徳川幕府からは神道本所として位置づけられ全国の神社、神職支配下にと


神道界での大きな権威は明治になるまで続いたそうです。


だから境内に菊と葵の御紋があったのね。


拝殿です

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この神社の拝殿はよくある神社のスタイルなんですが、吉田神社のキモは拝殿ではなく、

その隣にある斎場所「大元宮」なのです。

大元宮は本殿が八角形で背後が六角形の後房という珍しい形をしています。仏教・道教儒教陰陽道

思想教義儀礼を融合させた吉田神道の思想が大元宮で表現されており、国の重要文化財に指定されて

います。 どこがどういう意味を表しているのか等々は不勉強でさっぱりわかりません すみません;^^


大元宮です
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画像ではわかりにくいですが、大元宮の後ろに見える茅葺の屋根の社には

伊勢の内宮と外宮が祀られています。

また大元宮には天神地祇八百万神が大元宮に祀られているそうで、ここにお参りするだけで

全国の神社にお参りしたのと同じ意味になるとか。ちとショートカットしすぎな気も・・w

大元宮にお参りしていると、後ろに2人ぐらいの人が立っている気配が。順番を待っているのかなと思い

気持ち早めにお参りを終わらせて「おまたせしました」と言おうと後ろを振り向いてみたら誰もいない。

あれ。。確かに誰かいた気配してたんだけどな、、




余談ですが、ここによくでてくる知り合いの霊能系の人に以前ちらっと聞いた話によると、明治維新政府になって
日本を見えない力で守護する形態が崩れてしまったそうで。というのは、1000年以上も昔から社家が代々宮司を務めていたのに、維新後、神社本庁が派遣宮司を有名所に遣わし富を得ていることによる歪みが明治以降様々な災いとなってこの国を襲っているのだという人も中にはいるそうな。。
あてくし0能なので真偽はわからないけれど、職業選択の自由の今のこの世の中でも、誰でもできるわけではない血脈やDNAで宿命付けられた特殊な職業というのもごくごく一部にあるのかもしれないなと何となく思うのでした。まる。