有閑堂

オカルト好きのブログ

人を呪わば穴二つ・・

オーラの泉での「人を呪わば穴二つ」という言葉で思い出したこと。
(上手く書けなかったらこれ消去するかも・・orz)


関西のある場所に一部で有名になった知る人ぞ知る神社がある。

噂によると「途中、いろいろなプロセスは用意されているけれども、結果的には願い事が叶ったと思う」

という人が何人もいたらしい。

私は特に深刻な悩みや願い事はないけれども、好奇心からその神社が見たくなって、

去年の秋ごろに、霊感の鋭い知人と一緒にその神社に行った。


その神社は普通の住宅街のはずれにひっそりとあって、見た感じはごくごく普通の神社だった。

木々が生い茂って境内は山の中にある神社みたいな雰囲気でひっそりしていて、時間帯のせいか

自分達の他は誰もお参りする人がいなかった。

私はふーん思ったよりも普通の神社だなぁと思いつつ、ご挨拶程度のお参りを済ませた。


その知人の感想はというと、のほほんとしていた凡人0能者の私とは違い、

「今回は一緒に来たけれど、ここは重すぎる。本当はここはあまり来ないほうがいいかも・・」

とちょっと考え込んだ様子だった。


その時はその言葉の意味がよく・・というか全くわからなかったけれど、後になって

その話題になった時、彼女が言うには

あの神社には何かわからないけれど、パワーがあるのは確かで、お参りした時も

身体がパワーチャージされたような感覚があったし、かなり強烈だと思う。

でも、あそこのパワーというのは、想念をそのまま受けて発動する力があって、

その念の質(内容)が良くても悪くても関係なく反応する。

だから私みたいな良くも悪くも瞬間的な念の強さが強い人間は来ない方がいい。

何故なら念というのは必ず自分に返ってくるから。


そして、良いとか悪いっていうのは人間の世界での価値観の尺度であって、

こういう質の場所に宿る力にはその尺度は通用しない(人間ではないから)。

他の神社の神様だと人間の情の部分も踏まえてくれる神様もいるだろうけど、あそこは違うと思う。

ただ送った念はそれを発したものに必ず返ってくるという法則しかそこにはないから

幸せを願おうが呪おうがあそこの「力」にとって内容は関係ないのよ。

もしその願いが結果的に他人を不幸にするようなものだったりしたら、

その「力」がそれにそのまま応えてしまって それが自動的にそのまんま

また自分に返ってくるのってイヤやんw ヘタしたら自分で自分に呪いかけてるんと一緒やしw

だから そういうことも覚悟して真剣に願いたいのでなければ 

あそこは軽々しく行くところではないの

・・ということだった。


ここまで書いてみたけど、なんか上手く説明ができてないかも、、スミマセン 

とにかく、その人の話を聞きながら

「人を呪わば穴二つ」の言葉の本当の意味がわかったような気がした(気がしただけですw)。

以上、独り言でした。