有閑堂

オカルト好きのブログ

虚偽と邪悪について

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12年前に日本では出版されたのですが、本屋で見かけては気になっているのに

横目にスルーしてしまう本ってありませんか?


気にはなってたものの

この「平気でうそをつく人たち」というタイトルのせいで私はずっと手に取らなかったんですよねぇ・・

このあとにー虚偽と邪悪の心理学ーというサブタイトルが小さい文字でついてて、

サブタイトルだけのほうが著者の何を書かんとしているのかが

伝わりやすくてよかったんじゃないかなと思います。

私のように本をあまりすすんで読まない人間にとっては

本の装丁やタイトルは大事ってことですな。。


この本の著者はMスコット・ペックという精神科医です。

自分のカウンセリングの現場で実際に出会ったケースを挙げながら

人間の邪悪についてこの人なりの見解が書かれてあります。


この精神科医が言うには「邪悪な人」と表現される人がおり、その心の中に

悪を強く内在させていると言っています。

ここで言う悪とは、live(生きる)を逆につづるevilとして対峙されるもので、

大なり小なり誰しも心の中に持っているものだけれど、中にはすさまじい程に持っている人がおり

自分より弱い者の肉体を破壊し殺すだけではなく

弱い者の意識、可動性、知覚、成長、自立性、意志といった精神を殺す。

他人を支配したいというある主の人間の欲望、他人を支配可能なものにし、その人間の他社依存性を

助長し、自分自身で考える能力、独自性、独創性を減じ、

その人間の制御可能な状態に押さえ込んでおきたいという欲望も含めて「悪」と定義しています。

この種の悪が強く内在している「邪悪な人」というのは、他人を従順な自動機械に変えることによって

人生の不都合を回避し、他人から人間性を奪うことを求めているというのです。


悪なんて表現は宗教的な世界やオカな世界でしかあまり見かけませんし、科学の分野である

心理学の分野の人が悪という定義を取り扱うのはなんだかヘンな感じがしますが;^^


ちなみに善はその反対で、生命と生気を促進するものであると表現されています。


以下 ほぼ抜粋

邪悪と定義されている人というのは、自責の念、不当性、欠陥に対する苦痛を伴った認識に

苦しむことを拒否し、投影や罪の転嫁によって自分の苦痛を他人に負わせようとする。

自分自身が苦しむかわりに他人を苦しめるほうを苦もなく選ぶ。

自分自身の弱さや欠陥を認めることができないし、弱さをさらけだされること、

自分自身の邪悪性に面と向かうことを絶えず恐れていて、あたかも

物事を支配しているかのように自分自身や外に向かって徹底的に装うことにエネルギーを注ぎ込む・・

(このあたりで「平気うそをつく人」とタイトルがついているのですね)

自分の欠点を日々証明するものが暗に示している判定、それが良心や道徳であっても

それを否定し、これを攻撃さえしようという衝動に

人を駆り立てる尊大なプライドまたは傲慢さを悪性のナルシシズムだとしています。


邪悪とまで強い言葉はあてはまらなくても、

一体何なのだろうかと計り知れない暗い闇のようなものを

心に持っている人は意外に身近にいるんですよねぇ、、悲しいことに。

その人の言動によって長期にわたって周囲の人間がみな翻弄されていました。

数々の言動の動機に特にこれといった理由も見当たらなかったので今から思うと

悪意だったのかもなぁ、、


何故そのような人が存在するのか?というところまでは

この本でも説明されていなかったですねぇ(多分)。

それ以上掘り下げようとすると、もはや精神科学の域ではなくなるんでしょうか。

あてくしのような痛~いオカミーハーだったら 中途半端な借り物の知識で

「それは弱い心につけこんだ悪霊に憑依されて云々・・」と続くんですが

もちろんそんなこと 精神科医が書くわけないw


他人だからまだ距離を置くという対処の仕方があるのですが、身内、親となるとうーむ・・

こういった距離を置くにもおけない人のケースも含め

実際のカウンセリングの経験からいろいろ書かれてありますが、

科学的な立場とそれを超えた領域を行き来しながら最終的に「邪悪な人」や

その影響を受けた患者の治癒を目指して

患者と対峙する著者の苦悩と希望が書かれてあります。

10年以上前の本ですし、今の心理学の世界はさらに変化しているのかもしれませんが

心理学に暗い私でも最後まで興味深く読める本でした。

今の時代の雰囲気の中だからこの本を読む気になったのかもしれません。


これだけ長々書いて

あげく感想が「面白い、興味深い」しかないってボキャ貧すぎやし、、Orz