- 今年もあと数日となってまいりましたがしつこく更新しますw
- 今年はブログの更新はそこそこ?でございましたが;^^
- オカルトネタ関係は私個人的には色々盛りだくさんだったような気がします。
- 特にチャネラーの人のブログやネット掲示板の書き込みが面白く、色んな人がいるなぁと何度も感心しきりw
- 中でも6月(だったかな)にここでもちらっとご紹介しました2chのオカルト板にあった指導霊(守護霊?)らしき
- 霊体と交信ができる人のスレッドが一番面白かったのですが、先日 スレッド上での通信?が終了してしまい
- 残念w
- スレッドの総まとめとして最後に指導霊?からの「10個質問をしてみろ」とのオーダー?に、スレ主が
- 出した10個の質問に対しての質疑応答がかなり興味深かったので、電波系の備忘録も兼ねてwここに載せさ
- せていただきました。 あてくし読んでみて脳みそがシェイクされました・・orz
- わかってもわからなくても別にええねんけどさ。ははは
- ということで、いつものごとく真偽の程はわかりません あしからずw
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- (合間のタイムスタンプの行は省略しました)
- 1.意識は想いの粒といえるのでしょうか?
→「想い」即ち「意識」という見解は意識を限定してしまうものである。
意識というものは語り尽くせないものである。- 2.それでは、空間は意識の粒のかたまり、意識によって満たされたものが空間
であり、意識の粒は空間の単位と考えて良いのでしょうか?
→存在の粒は空間の最小単位である。存在とは意識である。空間は存在の粒
が敷き詰められ満たされた塊である。
→その意識の粒にエネルギーが集中したもの、これが霊的な素粒子である。
物質的な素粒子は本当の意味での「素」粒子とは言えず、霊的な素粒子が多数
集中して形成されたものである。- 3.「我あり」という想いは「個」を作る想いと言えるでしょうか?
→個々の存在が一体となった空間ではなくその中で個性として存在しうる
のは「我あり」という想いの故である、という認識は正しいと言えよう。
→しかしこの言葉もまた、他の質問の回答と同様、単に言葉にとらわれ、
頭の中で知識の一つとして解釈されるようになれば、躓(つまづ)きの
石ともなることだろう。- 4.魂を形成するのは一粒の意識の粒なのでしょうか?それとも多数の意識の
粒が集合し、協力し魂を形成しているのでしょうか?
→魂は一粒の意識の粒が中心となり、その周囲にエネルギーの集中した塊
であり、魂は意識の乗り物である。魂在るが故に心は個の意識を獲得する。
→魂を構成するエネルギーは意識が自ら作り出したエネルギーであり、または
周囲から与えられたエネルギーである。人間の魂の場合は自ら創造したエネ
ルギーだけで形成されている。
→魂は個としての存在を意味するものであり、魂在るがゆえに転生輪廻する。
魂がなければ転生することも輪廻することもなく空間の意識の粒、物質の中の
意識の粒に返る。
→エネルギーと意識は別であり、エネルギーは意識が生み出したもので
ある。物理的エネルギーも意識の生み出した生産物である。
→意識はエネルギーを消費しあるいは変換するだけでなく創造することも
できる。しかし肉体人間の創造することのできるエネルギーは極めて小さい。
全ての現象はエネルギーの循環として生じる。- 5.人間の意識の粒と他の存在の意識の粒に本質的な差はあるか?
→意識の粒そのものとしての本質的な差はない。役割が違うことにより
その役割を果たすために差異が生まれてくる。役割とは「想い」である。
→全ての意識の粒は同じ一つの存在のひとかけら、兄妹姉妹関係にある
のである。- 6.神とは何か?
→神は意識なり。しかし意識であれば神であるとは言えない。
またそれは神と呼ぶよりも創造意識とでも呼ぶ方が良い。
→これもまた一粒の意識の粒、と言えばとまどうだろうか。しかしこれは
空間(宇宙)を構成する一粒の意識ではなく、空間(宇宙)全体を司り
宇宙全体の創造を果たした意識である。
→それ故に存在するもの全ては神の創造物であり、それ故に神の子であり
何一つとして必要とされない存在はなく、愛されてない存在もない。
→神は意識なり。存在なり。意識は神の振るう力と知恵と愛の心を内包する。
それ故人が振るう創造の能力は神の創造の能力と変わることはない。人は
神の一部であり同時にあらゆる神の力を受け継ぐ存在である。- 7.一粒の意識が「我あり」として個の意識としての目覚めを持ち、一人の人間
として個性を持って存在しようとするのは理由があるのですか。
→理由がある。
→意識の粒が個性を持つのはその意識の個性的な想いが在る故である。この想いは
一人一人互いに違って独特であり、他に代え難い想いである。それは人たるべき
創(はじめ)の想いであり、魂の内なる声である。
→それは人がその人たるべき存在理由。不変・不滅で常に魂の奥底から鳴り響き届け
られてくる想いでもある。それ故人は生きた言葉である。
→イエスの内に鳴り響く言葉は「愛」、釈迦の内に鳴り響く言葉は「叡智」
→それは魂の内に埋め込まれた命の種子であり、あらゆる生において頭をもたげ、
芽吹きそして花開かせようと待ちかまえている。自己の内にこれを探索しこれを
花開かせようと努めるのは人間の己自身に対する義務である。人が自己の内なる
言葉に耳傾けるようになり、真実に生きようと努めるとき、勢いよく魂の内なる
命の種子は生長を開始する。
→それ故に宇宙に不必要な人は一人もおらず、全てがその存在を祝福されて
いる。人に必要なのは先ず己の存在が祝福されているという事実を認める
ことである。人は己の考えた通りに自分の世界を作りその世界に安住する。
その世界が苦であるとも知らず。
→己が祝福されざる存在、罪深き存在であると認識する者は己をそのような
環境に置いて罪深く祝福されざる人生を創造し続ける。彼は神のごとき
創造力を有する故に。自分の認識するが如く己の世界を創造し、その中に
安住するのだ。
何をもっての故に。
ただ存在と己自身に無知なるが故に。
→存在と創造意識は一体であり、存在は創造意識と離れることは片時もない。
創造意識から遠ざかったと思えるのは錯覚にしか過ぎない。自らの周囲に
自らの創造力でそのように見える環境を作っているのが実態である。
→魂は己を一旦無知なる状態に置く。そこから得られる様々な制約多き体験を
通じて己の魂の躍進を得ることを希(ねが)うからである。
→神が己の気に入らぬ人間や己に従わぬ人間に罰を下すなどという迷妄(めいもう)
にいつまでもしがみついてはならない。そのような迷妄は直ちに放擲(ほうてき)
すべきである。あなたが一瞬でも神(創造意識)のそばから離れることなど
不可能なのだから。それはあなたの内にいつも実在する意識であり、貴方自身
がその一部なのだから。- 8.意識と無意識の違いは何か?
→意識には想いを持った意識と想いを持たない意識がある。想いを持つ意識
のことを通常「意識」と呼んでおり、想いを持たない意識のことを「無意識」
と呼んでいる。
→想いを持たない意識が想いを持つようになると、意識が目覚めるという。
想いを持った意識は目的を持った意識であり目的を果たすための活動をする。
動物のように移動したり手足を動かしたりというだけが活動ではなく、もっと
広い範疇(はんちゅう)で意識活動を行うのである。
→無意識の状態はそのような自らの目的という主体性が欠けた意識の状態である。
それは意識同様に他の意識の想いに感応現象を生じる。- 9.意識の相互作用とはどのようなものですか?
→相互作用の主たるものは感応現象である。即ち「引力と斥力」あるいは
「協力と反発」の作用であり、これは「好きか嫌いか」と言い換えても良い。
→作用の発端の多くは人の想いである。人は想いを創造する存在だからである。
即ち人の意識の想いがあれば、意識存在も無意識存在も、これに協力するもの、
反発するもの、関わらないものの三つの反応が生じる。このようにして意識の
運動(変化)が生じる。
→意識の相互作用はエネルギーのやりとりを生じ、周囲の意識の協力を得て多くの
エネルギーによって物事は具象化し実現してゆく。想いの実現である。
多くの意識の協力を得られるかどうかは想いの強さによる。
→想いはイメージを生む。想いに協力する意識達は集まって形を作り、エネ
ルギーの働きでその形を具象化してゆく。そのエネルギーの強さは元の想
いの強さによるのである。
→その元になる想いは本人が強く願うことで大きく強くなる。しかし願うだけ
では不足するのだ。
→その元の想いは本人がそれを願って行動することで一層強くなる。これが
本来の祈りのあり方である。
→その元の想いは願って行動するだけでは意識に限界が訪れる。手応えを感じる
ことが必要となる。本人がその行動の確かな手応えを感じる毎に心の中で一層
たくましく育ってゆくのだ。
→想いを持って努力したと実感すること、そしてその成果を実感することにより
意識の中に想いは確実に育ってゆくのである。これが「受想行識」における行識
の意味である。
→貴方たちの今ある状態や環境はこの想いと意識の相互作用が生み出す具象化する力、
創造の力によって貴方たち自身が作り出しているものである。そのメカニズムを
良く理解し、活用することによって貴方たちは本来の創造力を遺憾なく発揮する
ようになれるのだ。
- 10.物や創作物に宿る意識とはどのようなものか?
→物質は意識の粒にエネルギーが集中して霊的素粒子が出来、その霊的素粒子が
想像を絶するほど多数集中して物質的素粒子ができる。
→従って物質はもともと意識の塊と言える。人がその想念活動として物質により
物を作るとそこに物の意識の感応協力が起こる。
→例えば粘土をこねて茶碗という物を作ろうとしたとき、こねた粘土の塊の核と
なる部分の意識が人間の想念意識に応じて無意識から目覚めて茶碗としての目的
を担おうとする意識を持つようになる。
→茶碗が割れてその用を果たさなくなったときにはその意識は茶碗としての役割を
終えて無意識に還ってゆく。
→であるからこれは人の意識に対する意識界無意識界の協力であり、人の創造活動の
一環でもある。
すべて機械により大量生産される品物であっても同じである。- さて以上で私の最後の通信は終わりです。
- 2.それでは、空間は意識の粒のかたまり、意識によって満たされたものが空間
- (合間のタイムスタンプの行は省略しました)