有閑堂

オカルト好きのブログ

オーラの泉 柳原可奈子の回その1

今回のゲストは柳原可奈子

私は彼女のショップ店員のネタや携帯いじりながら人の話を聞いてない女の子のネタが

好きだw

美輪は柳原の大御所スタイリストの鼻持ちならない言動をからかうようなネタが

とても気に入ったようで、あぁいう人種の有名ブランド名をちりばめた会話が一番野暮ったいのが

本人達はわかっていないと呆れていた。


ネタは大抵街の電車内や喫茶店で隣に座った人達の会話をさりげなく聞いたり

ショップに客として行った時の店員の様子等をマンウォッチングしてネタ集めをするらしい。

だから、街に出ると情報過多になってしまいとても疲れるから休みの日は

外界をシャットアウトして専ら家の中に篭って読書したり父親と話したりして過ごすのだと

言っていた。


柳原は子供の頃はとても神経質で、明日の時間割を合わせても心配で

何度も何度もランドセルの中を確認したり、林間学校の日の三ヶ月前から当日

ホームシックにかかったらどうしようと心配するような子供だったらしい。

そんな柳原に母親は「案ずるより産むが安し」とよく声をかけていたので、段々母親の言葉で

良い意味の暗示にかかり、成長するに従って神経質な面がなくなっていったので、

今でも母の言葉を座右の銘にしていると話していた。


今一番気になることは母のことだという柳原は2年前 柳原が19歳のときに

母親を病気で亡くしていた。

両親は一人娘の柳原をとても溺愛し、特に母親は柳原が中学に上がるまで靴下を履かせてくれてくれて

いたらしい。

それまで 何もかも母親がやってくれていて何もできない自分だったが、

母親がいなくなって自分で何でもしなければと自己改革をした。

それは、柳原が自立して生きていけるようにと

母親が身をもって示した最後の躾だったと確信していると柳原は思っている。

親はだいたい子供が40、50代になるまで生きるものだが、自分はそれよりも

一緒にいる期間は短かったけれど、その分濃密な愛情を注いでもらったんだとも言っていた。


母親が亡くなって2年経って、以前はあれだけ母親の事を思い出しては泣いていたのに

段々母親の事が思い出せなくなってきていて、その事に罪悪感を感じているようだった。

最近は母親の声も思い出せないと言っていた。

何でも 亡くなった人の声、顔、思い出の順番に忘れていくそうだ。


美輪はそれはいい事だ。こちら側の人間、あちら側の人間の両方が充実していると

段々想いを引きずらなくなる。どちらかが悔いを残しているとそうはならないし、

あちら側の人が悔いやマイナスの想念を引きずったままでいると、それがこちら側の人間に伝わって

理由もないのに鬱々とした感情に陥ることがある。

そして、誰にも愛情を注がずに一生を終える人もいるところ、柳原の母親は

娘に精一杯の愛情を注ぐことができたので悔いは何もない。

それに、お笑い芸人になることが子供の頃からの夢だった柳原の今の活躍ぶりを見て

母親としてこれほど嬉しいことはないはずだからというと、柳原は頷いていた。


亡くなった人との良い想い出だけを想い出し、時々良い音楽をかけながら

良い想い出を取り出して懐かしむのが想い出の上手な使い方なんだと美輪。


江原は、母親とは仲が良いが故の衝突も多々あったので、あの時もっと優しくしていればと

悔いが残っているのと、最期の母親の言動に柳原の心が傷ついているところがある。

母親は最期の自分の言動は本心ではないから誤解しないで欲しいとメッセージを伝えた。

それを聞いた柳原の眼からは涙が溢れてきていた。

当たり前だけど、柳原はずっと素だった。


最期に、今まで溺れるような恋愛をしてこなかったし、そもそも熱烈な恋愛、結婚には

否定的な部分があるけれど、未来に溺れるような熱烈な恋愛があるが、それまで免疫がないから

何も見えなくなってしまうだろうから気をつけてほしいと江原が言うと、柳原は驚いていた。

江原曰く、心の窓をちょっと開けてそこから何でも眺めるような人らしい。


大人になってお笑い芸人になっても

子供の頃から持ち続けているとても繊細な部分は変わらないんだろう。


ということで、オーラの色、前世について何もなくて

オカルティックな部分はかなりというか殆ど押さえられた回だった。うーむ。

ネットでの噂では柳原可奈子はオカルト系の体験談を持っているらしかったのに

全然そこには触れず。ちょっと楽しみにしてただけに残念。