有閑堂

オカルト好きのブログ

オーラの泉 西城秀樹の回

今回のゲストは西城秀樹。この人も一見あまりスピ系なんて興味なさそうなのに

とってもスピリチュアルな人だった。


番組冒頭のスピリチュアルチェックで不思議な体験をしたことは?の質問に

幽体離脱もどき?をしたことがあると答えていた。

24歳くらいのとき・・ということはヒデキ全盛期くらいかw

自宅で疲れて何も考えていない時に眠っていたら、心臓の鼓動が激しくなり

気づいたら、自分の姿を真上から見おろしていたという。

それって「もどき」じゃなくて

完全に幽体離脱じゃないんだろうかw

あれっと思ったら自分の真上にいる自分がどこからか風を感じて上に「飛んで行った」と

表現していた。怖いと思った瞬間スッと横たわっている自分の身体に戻っていったらしい。

訳もわからないので、自分は何かに取り憑かれたかと思ったとヒデキ。

幽体離脱をする前に、ふと手を見ると

手の平に金色の汗のようなものが沢山付いていたという。


金粉はあまり聞かないけれど、風を感じたり飛んでいく感覚を感じる人はいるみたいだ。

そこからどこでも行けるみたいなのに、ヒデキ惜しいw

まぁ 自分も突然そんな目にあったらびっくりして恐怖を感じるかもしれないけど(苦笑)


江原は霊視して西城の人生をさかのぼって見ていくと、西城の人生は奇跡の連続で、

自分でも自分一人の力ではない、何かに護られて生きてきていると肌で感じてきているはずだと

言うと、西城もそう感じていると答えた。


ジャズ好きの父親の影響で子供の頃からミュージシャン志望(但し ドラマー志望)だったが

スカウトされて17歳で父の猛反対を押し切って家出同然で上京、デビューした。

ヒット曲は出しても父親は反対し続けていたが、影では熱心に応援していたと人づてに聞いたという。

美輪は父親は西城を溺愛していたが、昔気質の愛し方であまり表には出さない人だったと

説明すると、国分は自分も父親に「キャーキャー言われねぇよ お前は」と反対されたことを

話した。

父親というものは冷静に この仕事でこの先食べていけるのかと心配するようだ。当然だけど。


そんな西城の父親は晩年痴呆症になり、家族の誰のこともわからなくなっていったが、

西城秀樹」はわかっており、もう長くないと感じた秀樹は父親をディナーショーに招待した。

帰る間際、エレベーターの扉が締まる直前に父親は「ヒデキ 結婚しないのか?」と一言

声をかけたという。息子の名前は忘れても、自分の反対を押し切った末、誕生した

「ヒデキ」は覚えているなんて皮肉なものだ。

舞台の仕事が終わってからかけつけて父親が亡くなる30分前に最期の別れができた。

医師が言うには西城が来るまで待っていたらしい。


その後西城は結婚し、子供にも恵まれた。しかし、韓国でコンサートを行った時、

ラク脳梗塞に見舞われた。うまく喋れない、音程がとれないという状況下でもコンサートは

行ったが散々な出来だったという。その3ヵ月後から西城は後遺症に悩まされはじめる。

思ったことがスムーズに言葉として出ないことから始まり、このままじゃ生きていけないという思いから

うつ病になる・・というのはこの病ではよくある症状らしい。

後遺症は少しずつ回復していくが自分で実感が持てないのでどんどん落ち込んでいったという。


そしてようやく治そうという気力が出てきたのは3年後くらいで、西城は

病は気から。治す気がなかったら病気は治らないということを実感したという。

その3年の間もリハビリを頑張り続けていて、だんだんこんなに頑張る自分のことが

好きになり、今まで通りの100パーセントでなくてもいい、たとえ70パーセントであっても

その7割の自分を利用できればいいと発想の転換ができた時、肩の力が抜けていろんなことが

出来るようになったと西城は当時を回想していた。


そのきっかけをくれたのはやはり家族。焦っていた西城はもう歌えないから引退しようと思った時、

妻が「ゆっくり歩いて 治していこうよ」という言葉で、焦っているのは自分だけなのだと

気がついてから。家族がいなかったら今頃この世にはいなかったかもしれないと言う西城は

長く辛い口唇トレーニング、有酸素運動等をこつこつ続け、元に戻ったと

感じたのは4年後のことだった。


病に倒れた時、妻は2人目の子供を妊娠中だったが、気丈に西城を支えてくれた。

今では頭があがらないようだ。

江原から視える西城の妻は子供の頃から苦労をしてきた人で、そのため強く、慈愛の人だという。


病を乗り越えてからというもの、西城は死に対しての付き合い方が変わり、10年でも20年でも

楽しく一生懸命生きることだと感じるようになり、鳥のさえずりを聞いただけで「いいな」と思える

ようになった。また、それまでは亭主関白であったが、怒らす妻や子供の言葉に

耳を傾けようとつとめ、病気をしてから人生の歩き方が変わったらしい。


一度死の瀬戸際から生還した人はそういう達観の域に達する話をよく聞く。

そういう気持ちになれるのはいいけど、願わくば

瀬戸際に行かずにそういう領域に達したいものです、はい。


病気、リハビリを経て、身体の自由がきくというのは何て幸せなことなんだろうかと

感じるようになった。

美輪は、それを考えると世の中は幸せな人ばかりのはずなのに、見過ごしてしまっていると言っていた。



西城はスーパースターでいることが苦ではなかったはず。

西城の前世は中国あたりの武将で、人の上に立つことには慣れているが、庶民の思いがわからない

ところがあると江原が言うと、西城はちょっとした普通の事がわからない時があり、

妻にまともな事を教わっているところがあるんだと答えていた。

病気のメッセージは弱い人の気持ちを学ぶことにあった。

スーパースターだった西城が他の一般の患者と同じように言語指導やその他リハビリを

一患者に徹して受けている様子が見えたらしく江原は感心していた。

芸能人だったらそこが病院といえども普通だったら気取ってみたり、

特別扱いされたがるものなんだろうw


幽体離脱などの不思議な経験については 必ず大ヒットの直前にそれらの現象が起こっているはずで、

オペラ座の怪人のヒロインのように、見えない力に導かれて

ある種の教育を受けているんだと説明していた。


西城の人生は他の人に感動を与えたり共有する人生で、それは父親が望んでいた人生だった。

聡明な父親は、芸能人になることで自分の価値と市場価値を混同し、人間としての道を

誤ってしまわないかと危惧していたから反対したんだと美輪は説明していた。


父親は息子の芸能界入りに反対していたけれど、

一日でも長く自分が元気でいて万が一西城が戻ってきた時でも、すぐに道が切り替えられるような

準備だけしておけばいいと冷静に思っていたと江原が説明した。


今は生活の上でスーパースターになりたいんだと西城が言うと

父親は西城と同じ言葉をメッセージとして送ってきているので、ちゃんと伝わっていると江原。

晩年、家族の顔は忘れていても、西城の顔を見ると記憶がよみがえっていて

結婚しないのか?という言葉は魂から出た言葉だと説明していた。


そして 久しぶりに出た「耳打ち」w

もちろん内容はわからなかったけど、ヒデキ曰く「父親っぽいな」という言葉。

そこが一番伝えたかった事だったらしい。


江原が子供が芸能界に入りたいと言ったらどうする?という質問に

西城が困っている様子を見てニヤっと笑う父親がいるという江原w

今になって父親の気持ちがよくわかると苦笑していた。


今回もオーラな出来事コーナーはなかった。