有閑堂

オカルト好きのブログ

オーラの泉 田中義剛の回

今回のゲストは田中義剛。タレントというよりは酪農家と言ったほうがいいのかな。

彼の所有する花畑牧場の生キャラメルは美味しいと評判みたいだ。

地域限定商品なんでしたっけ?私はまだ食べたことはありません。


青森で生まれ育った田中には高1の時、唯一無二の親友との出会いがあった。

田中の生まれた地域では親の後をついで漁師になるのが普通だったけれど、

田中の家は父がサラリーマンだったので親から継ぐ職業もなく、将来のことも漠然としたまま

退屈な高校生活を送り、その一方で親友は親の跡を継ぎ漁師となった。


ところが親友が漁師となった第一回目の船出で親友が乗った漁船が座礁、転覆し、

親友は帰らぬ人となってしまう。

夢を持った親友は16で亡くなり、夢を持たない自分はこうして生きている現実に

田中はすっかり打ちひしがれてしまい、ふさぎこむ毎日を送った。


 親友の葬儀の帰り、田中が乗っている自転車の後ろの台が急に重くなり、明らかに人が乗っている

ように感じ、田中は親友が後ろに乗っているんだと直感したという。


田中はどうしても親友が亡くなった海を見たくなり、列車を乗り継ぎ、連絡船に乗り、北海道に

家出同然で亡くなった海の見える岬にたどり着く。

海に花を手向けて冥福を祈ったあと、何気なく立ち寄ったのが優れたサラブレッドを生産するので

有名な牧場だった。

牧場の人に事情を話し頼み込んで一週間牧場で働かせてもらうことになった田中は

そこで偶然に馬の出産に立ち合わせてもらうことになった。

生まれてきた直後、昇ってきた朝日に照らされながら自分の足で立つ仔馬が神々しく見えた時、

これは親友から「牧場をやれ」というメッセージなのではないかと感じたという。

純朴な高校生だった田中は

牧場なんて土地を開墾してすぐにできるものだと思っていたらしい。

高校の先生に牧場をやりたいと話すと2億円は必要だと言われてすぐに親に電話して

2億円あるかと聞いたら即電話を切られたと笑っていたww


牧場をやるための2億円を稼ぎ出す方法を考えていると、当時人気だった松山千春を思い出し、

芸能人になるしかないと思ったという。

思い立ったら即行動の田中はラジオのオーディションを受け、歌ではなくトークが評価されて

合格し、深夜5分間だけの酪農専門のラジオ番組を持たせてもらったが番組は三ヶ月で終了してしまう。

売れる前の吉幾三にもし自分が売れたら東京で面倒みてやるからという約束を忘れずにいた田中は

ブレイクしてからの吉幾三を訪ねて27の時に上京して吉幾三のところに転がり込んだ。

実は吉は田中が本当に来るとは思ってなかったらしいw


上京し飛び込みで所属事務所を探して当時はまだ弱小だった事務所に頼み込み所属する事務所が決まり、

だんだんバラエティ番組に出る機会が増えていった。

当時そのまんま東と二人ともお互いいつまでも芸能界にいるタイプではないから、

いつか違う道を行こうと誓い合ったこともあったという。


そして、事務所に2億円の借金をしてとうとう念願の牧場を手に入れることができたが、本当の

苦労はここからだった。

最初10年間はずっと赤字経営が続き、負債は減るどころかどんどん増加し、4億にまで膨れ上がって

いったという。

当時のスタッフも牧場の未来を悲観して殆ど全員辞めてしまったが

ただ一人の男性スタッフだけが残り、その後もずっと田中を支え続けてくれた。


その当時からの唯一のスタッフの男性がVTRで映った時、美輪が、親友の写真の顔に

似ていると指摘すると田中もそういえば似てるという話になり、

江原が親友は今も田中と一緒にいて、失われた自分の人生を共に体験している。

親友は漁師になったのは親を楽させたかったからで、本当は酪農をしたかったらしい。

時々、田中は親友と心で会話をすると言っていたがそれは独り言ではなく、本当に親友の魂と

コンタクトを取っているんだと江原は言っていた。


田中に迷いが出たとき等、ここぞという時にはその男性スタッフを通して

今も親友は助言を与え続けているのだと説明していた。

その男性スタッフはいつもは無口だが、

ここぞという時に言う一言は

とても的を射ているのだと田中も認めていた。

短気で諦めの早い田中が牧場の経営をずっと辞めようとしなかったのは

牧場が親友の因縁のある土地と親友の想いがあったかららしい。


そんな田中にはフランスあたりのヨーロッパで

牧場やワイナリーを経営している資産家だった前世があったのが江原には視えた。


江原はヨーロッパでの前世だとフランスあたりを言うことが多いんだけど、これは

TVに出られるくらいの一握りの有名芸能人には

フランスあたりのしかも上層階級の前世を持つ人が多いということなのか、

江原が単にヨーロッパといえば

フランス、ドイツ、イギリスあたりしか知らない

あてくし並みの地理の知識しか持ち合わせてないからなのか。

だとしたら前世を見るときは視えた場所の特定は自分の持ち合わせてる知識でせんといかんのね・・

ということは世界史と地理の勉強をしないと正確に説明できないってことですが。

あ、脱線w


今の田中のようにゼロから創り上げるものではなく、代々続く資産を継ぐ形で何の苦労もなかったが

最後は道楽をして資産を食い潰してしまったという。


その前世の悔い、親友の想いなどが重なって今の田中がいるらしい。

今後はワイン事業も展開していくかもと江原が言うと、

実はニュージーランドに以前から買いたいと目を付けているワイナリーがあるんだと田中は話していた。


田中の牧場経営は今大きな岐路に立っている。

たった一人のスタッフから今の500人のスタッフを抱える経営者となった田中には

経営者としての理性が今後求められる。

これまで、大きく成長しすぎて目が十分届かず

自分のキャパシティを超えつつあるのに苛立ちを感じ、

その場の感情でスタッフを叱り飛ばしている田中の姿が視えた美輪と江原は

このままではスタッフが離れていってしまう危険がある。

田中自身も薄々そのことに気づいているはずだ。

今後は経営者としての帝王学として

根性論ではなく、理性でする経営を学ばなければならないとアドバイスしていた。


田中は半年前からオーラに出たいと申し出ていたらしいが、今このタイミングでないと

聞く耳を持たなかっただろうと美輪に言われると田中もそうかもしれないと認めていた。


田中もそのことは思い当たることがあったようで自分も牧場の未来に不安を覚えていたらしかったけど

ズバリ指摘されて

番組が終わる頃にはかなりすっきりしたように見えた。


確かに、少し前に生キャラメルの新作を試作している様子をTVでやってるのを見た時

スタッフへの当たりがキツかったなぁ。

あんな言い方しなくても、ちゃんと意思が伝わるような人しか雇ってないはずでしょうにね。

本人はそんなつもりはなかったかもしれないけど、

ああいう俺様ワンマンタイプの人って部下を持つと、部下への態度が

つい支配的になりがちなのかな。

たまに見かける 部下をムダに叱り飛ばしたりアゴで使う自分って

仕事ができる人なんだと思っている?勘違い上司とダブって見えて

正直あんまり感じ好くなかった(苦笑)


親友への想いも大切にするものいいけど、田中を支えてくれている家族も大切にということと

発明など物づくりのアイデアマンだった祖父も商品開発にインスピレーションを与えてたり

何かと見えない手助けをしてくれているので

祖父の墓参りもするように言われていた。


ここまで来るには相当の根性、情熱が必要だったけれど、これからは

それら直情型な部分を押さえて

理性的な経営者になれるかどうか

お手並み拝見といったところでしょうか。


番組の最後に美輪と江原にだけでなくて

自分にも生キャラメル送って欲しいと催促していた。

絶対それ言うと思ってたよ、国分太一