有閑堂

オカルト好きのブログ

オーラの泉 島倉千代子の回 その2

後半のゲストは島倉千代子

16歳にデビューしてデビュー曲のレコードが200万枚のセールスで

いきなりトップスターになった島倉千代子

しかし、その後はすんなり順風満帆とはいかず、いきなり声が出なくなってしまうという

アクシデントに見舞われる。当時同じレコード会社に所属していた美輪明宏に相談をしたところ

周囲の雑音に惑わされず、「自分を信じて自分に負けないこと」

だとアドバイスを受けた。


島倉は今まで何か困難があると

自分がいけなかったからなのだから自分が頑張ればいいんだという気持ちで乗り越えると

いうことの積み重ねだった。今から振り返ると美輪の言葉の意味が理解できるし、生き方

の指針をもらたんだと思うと話していた。


25歳の時、プロ野球選手と結婚したが5年で離婚した。島倉は世間知らずだった故の結婚だったし、

相手に悪かったと思うと話していた。

美輪曰く、恋は理性と感情の間で苦しむもので思案の外というもの。


またその4年後にマネージメントの全てを任せていた母親が亡くなるという不幸に見舞われた。

さらにさらに不幸は重なり 知人の借金の保証人となり全額肩代わりさせられる羽目に。その額

は現在の金額で16臆円・・・

以来、人に会うのが怖くなり、郵便小包の受け取りのハンコすら押すことが怖くなったという。

16億円の借金の返済だけに費やされることになる。

家屋敷も取り上げられて知人の家を転々としながら朝から晩まで歌い

結局15年で完済した。って凄い。

借金も半端じゃないけど返済のスピードも半端じゃないよね・・そりゃ 「まぁ歌えれば何とかなるか」

と思ったらしいけどそりゃ思うわw

そもそもの金銭感覚というか桁が全然違うもん。

本当に世間一般とはかけ離れた世界の人だったんだなと思う。


ただ、島倉にとっては歌は天職。お金がどうこうという前に

歌さえ歌える場さえあればいいとどこか思っているところがあり、そういう金銭トラブルが

起こる前まではお金のことはあまり頓着しなかったはずだと江原は言うと

島倉は今では実印は人に預けないで自分で持っているようになったし

簡単には押さないようになったと言っていた。ふむ。

美輪は実印は命同然。

実印を他人に預けるというのは命を他人に預けるというのと同じ意味だと諭していた。


その後、「鳳仙花」や「人生いろいろ」という大ヒット曲に恵まれ

借金の完済のめどが立ったがその頃、1993年に乳がんが発覚。

そしてさらにスタッフに裏切られ個人事務所の資産を持ち逃げされてしまい

再び借金に負われることとなった。

聞いてるだけで疲れる、、ジェットコースターのような人生だ、、


島倉千代子は16歳でデビューしてからずっと

金銭的なことやマネージメントは全て母親に任せっきりだった。

昔はスターにはお金政治文学の話はタブーとされ、

己の芸だけに集中させよという風潮が芸能界にあったらしい。

10代から大スターだった島倉も世俗的な雑事からは隔絶した生活を送ってきたから

金銭的は感覚は養われることがなかったのが今までのトラブルの根底にあるようだ。


江原に視えた島倉の前世はお姫様。その時も歌が大好きで歌姫と呼ばれていたという。

どこかその時の思いを引きずっていて、辛い思いをしても金銭には楽観的な部分がある。

感情の面ではお姫様のままだし、どこか悲劇のヒロインを楽しむ自分がいるのだと江原は

説明していた。

オーラはブルーや黄色が強いが瞬時で気分がころころ変わるところがあり、

物事に頓着なく、物が壊れたとしてもこれで新しいものが買えるんだという考え方になる。

前向きやなw

そんな風にかなり物質面では無頓着だった島倉だったが、

いろんなことを経験した今となっては

これ以上騙されたら終わりだと危機感を持っていると話していた。


また、島倉の背後にスーツを着た男性が何人も並んでいるのが江原には視えていた。

それは辛い目に合ったときに時には耳の痛い苦言を呈しながらも

親身になって島倉のことを助けてくれた 今はもう亡くなっている人たち。

あの世からでも見守っている「あの世後援会」の方々で

人の意見を自分の肥やしにできるようになった今の島倉に対して

「ようやく聞く耳を持つようになったね」とメッセージを送ってきているようだ。


島倉は前世のお姫様のときは夫にも恵まれて

最期まで何不自由なく幸せな生涯だったので、今生では苦労や色々なことを

体験するように自ら設定して生まれてきたのだと江原は言っていた。

今まできっちり設定どおり進んでいるようです。


島倉の母親がメッセージを送ってきて、

島倉の結婚のとき、人生を邪魔してしまったことを謝っていると江原は伝えていた。


島倉が結婚した時、結婚式に島倉の親族は誰一人出席してくれなかった。

しかし、島倉はずいぶんあとになって、

母親だけがその時、式場の配膳係の中に紛れ込んで来賓達に配膳していたという事実を知ったと

話していた。

途中どんなことがあっても最後に望むことはわが子の幸せだと思います。


厳しかった母親に

泣きながら叩かれながらでも教わったことが今でも役に立っていると感じて

本当に感謝しているみたいだ。

母親はできるだけ長く歌い続けるための努力が感謝の表れなのだから、

食事にもっと気をつけるようにとメッセージを伝えてきていた。

気に入ったらそればかり食べ続けたりと

かなり食生活のバランスが悪いようだ。

いろんな人に心配され耳が痛いことでも親身にアドバイスをしてもらえるというのは

ある意味財産だよね・・と今の殺伐とした世間を思うとそう感じてしまう。