職場のアンチオカのAさんが
自分のお墓について考えたことがあるかと聞いてきた。
自分のお墓・・一応今のところは健康に不安を覚えていないし、心のどこかで
明日、もしくは近日中に命がなくなることはないという根拠のない自信(慢心か)が
あったりするのでそんなこと真剣に考えたことないなぁ。
何でも
檀家になっているお寺の墓地の一区画に空きができたので、
将来のために買っておいたらどうかという話を姑から持ちかけられたらしい。
「その近くに住むかどうかも決めていない場所に埋めてもねぇ・・もし自分の子供が
遠方に住むことになったらお墓参りが負担になるかもしれないと思うととてもそこを買う気になれない。
私は死んだらお墓になんかいなくて、千の風になるんだから、どこかのお寺に遺骨を納めて
永代供養でもしてくれたらいいし、折々に私のことを家族が想い出してくれさえすれば
それで満足だ」とAさんは言い、
「今すぐにでもお墓が必要な人がいるんだから、その人に譲ってあげればいいのに、
どうして今すぐ必要じゃない者が人を押しのけてまで必死になって
いつ入るかどうかわからないお墓をキープしようとするのか理解できない」
と言い、更に
お墓がないと成仏しないのかと尋ねてきた・・いや、まだ死んだことないから知らないや;^^
そして、
不幸が続くと先祖供養しないからだとよく言うけれど、自分の血の繋がった子孫は
可愛いにきまっている。見守りこそすれ
嫌がらせなんてするわけないと思わん?
と憤っていた。
私もそのあたりよくわからんので、そうだねと言うしかないわ。
Aさんはアンチオカだけど、言ってることは至極真っ当な気がするし、
何だかえらく意識の高い人だなと感心した。
そして
その夜に見たのが何度目かの再放送でやっていたのがNHKの
ターシャ・チューダーの追悼番組。
彼女はご存知アメリカの有名な絵本作家で19世紀の自給自足の生活をそのまま実践した
ナチュラリストでガーデニングの天才でもある女性だ。
去年の6月に92歳で亡くなった彼女を家族や周囲の知人達が偲ぶ番組で、彼女が
亡くなってからも孫が大切に守るターシャが創り上げた「地上のパラダイス」には
季節の花が見事に咲き誇っていた。
葬儀もお墓も無用という彼女の遺志で墓所はどこにもないけれど、
遺灰を埋めた地上の楽園そのものが彼女の「生きたお墓」でもあるんだろう。
彼女の追悼パーティーが地元の有志によって開かれ、飲み物を飲みながら想い出話をし、
夜には松明を焚き、最後に近くの川に小さなろうそくをそれぞれ流して彼女の冥福を祈って
いたのを見て、外国にも送り火ってあるのねぇ・・ヘンなところで感心w
想いだけがあちら側にいる故人に届くと聞いたことがあるし、義務的にお墓参りされるよりは
こっちのほうがよっぽどいいだろうな。
ターシャのように地上のパラダイスも墓所の一区画もまだ持っていない自分は
どうしたいんだろうかねぇ。。